このたびの「電通事件」で、「鬼十則」が批判的に取り上げられている。
「鬼十則」は、いまから65年前の1951年8月、電通第四代社長の吉田秀雄がつくったものだ。
過労とパワハラによる自死はあってはならないことだが、「鬼十則」そのものは決して悪いものではないと思っている。
吉田秀雄について、私は拙著で触れたことがあるが、「鬼十則」の一例を紹介すると次のようになる。
《仕事は自ら創るべきで、与えられるべきでない》
《自信を持て、自信がないから君の仕事には、迫力も粘りも、そして厚味すらがない》
《摩擦を怖れるな、摩擦は進歩の母、積極の肥料だ。でないと君は卑屈未練になる》
仕事だけでなく、生き方として、励みにも参考にもなるだろうが、表題の「鬼」という言葉が時代にそぐわないのだろう。
かつて「仕事の鬼」といったように、「鬼」は畏敬の言葉であったが、社会が成熟から後退期に入った現代においては、「鬼」という言葉そのものに拒否反応を起こすのだろう。
そういえば、子供のスポーツ指導で、学校の先生にとって「頑張れ」という励ましは禁句だとか。
頑張って倒れたら、責任問題になるからだ。
「鬼十則」も、学校の部活も含め、社会全体が尻を叩いてはいけない時代になったということか。
過労死にまで追いやるのは論外としても、負荷をかけない生き方をしていていいのだろうかと、古い人間の私はいささかの懐疑があるのだ。
「鬼」という言葉
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