カレンダーを見て驚いた。
まだ正月2日ではないか。
そう言えば、愚妻も昼間、そんなことを言っていた。
年末から正月仕度でバタバタしていたからだそうだ。
みんなが集まって賑やかに「おめでとう」もいいが、静かに迎える正月も悪くないのではないかと思ったり。
そう言えば、
「遠からず隠遁生活に入る」
と正月に宣言すると、娘がジロリと睨んで、
「借金があるんじゃないでしょうね」
私は家族に信用がないのだ。
それにしても隠遁生活をマジメに考えると、残された時間はそうはないことに気づく。
まず、健康でなければならない。
ヨロヨロしていたのでは風流とはほど遠く、〝爺捨て〟になってしまう。
健康だけではダメだ。
粋で、おしゃれで、遊びができなくては、これも〝爺捨て〟になってしまう。
コインランドリーとか、しゃれたレストランとかを考えると、里山では具合が悪かろう。
仕事の打ち合わせを考えれば、交通の便も気になる。
あれこれとブツクサ言っていると、
「そういうの、隠遁とは言わないんじゃないの?」
愚妻が鋭いことを言う。
さっそく「隠遁生活」を辞書で引いてみると、
「世俗を離れて生活すること。世間を去って山中などに住み、仏教の修行に専心すること。また特に、自力門を離れて、浄土教の信仰に入ることもいう」
仏教修行、それも浄土教とは私にドンピシャリではないか。
もう何もいらん。
〝爺捨て〟で結構。
望むところではないか。
よし、これを人生の目標に、新たなスタートだ。
風邪も抜けつつある(たぶん)。
もう一日、大事を取って、明後日からウォーキングを再開しよう。
めざせ、隠遁生活
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