いろんな帽子を買ったら、帽子ケースが欲しくなった。
部屋のあちこちに散らばっていては、型崩れもするだろう。
で、帽子ケースをいくつか買い、しまい込んだ。
しまい込んだら、出すのが面倒になった。
着物と同じである。
着物を着るのはいいのだが、箪笥から出し、着たあと風を通し、そして再び畳んで箪笥にしまうのが面倒なのである。
そんなわけで、着物は畳むことなく吊しっぱなしにしている常着のウールを着る。
ウールは感触がよくない。
ならば大島でもお召しでも着ればいいのたが、畳むのが面倒だ。
だからウールになる。
そんな、くだらないことを考えながら、今日も一日が始まった。
65歳になったからといって、何がどう変わるわけでもない。
変わるわけはないが、一秒一分一時間一日ごとに、身体も心も人生も確実に変わっているはずだ。
地球の自転を意識しないで日々を過ごすのと同じということか。
「それでも地球は動く」
と宗教裁判で地動説を唱えたガリレオは、「地球は動く」を体感したわけではあるまい。
理屈である。
「お浄土」を説く坊主の多くは、そんなものかもしれないと、自戒を込めて思うのである。
ガリレオと「お浄土」
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