ボランティア読経で、納骨を依頼された。
「何とか年内に」
ということなので、28日、霊園におうかがいすることにした。
私で役に立つのなら有難いことである。
もちろん、「役に立つ」「立たない」で価値判断してはいけないことは、頭では重々承知しているが、
「人の役に立つ」
という思いは、気持ちのいいものである。
この「気持ちよさ」こそ大敵であることも、これまた頭では重々承知はしているが、そこは凡夫の悲しさということか。
善人ぶることの醜悪さに自己嫌悪すると、親鸞さんが恋しくなってくる。
来年は、あれやこれやと豊富は一杯ある。
そのために走り回ってもいる。
その一方で、
「人間、明日の命はわからない」
と、したり顔で話をす。
矛盾である。
人間はそうしたものであると肯定するか、滑稽さに大笑いするか。
人生とは何と面白いものかと、64歳にして、ようやく気づくのだ。
「納骨読経」の依頼
投稿日: