昨日は、当道場の秋期審査会。
緊張した顔というのは、大人も子供もいいものですな。
それにしても、昔にくらべて緊張する場面が少なくなってきているように感じる。
そういう社会になってきたのか、私が歳をとって緊張感が足りなくなってきたのか。
審査しながら、ふと思った次第。
審査のあと、愚妻とお彼岸の墓参り。
広い霊園だが、たくさんの人がお参りしていた。
坊主は「仏教離れ」を嘆くが、とんでもない。
仏教離れではなく、寺と坊さんに愛想をつかせているだけなのだろうと、お墓に手を合わせる人々を見ていて思うのである。
先夜は、坊さんや葬儀関係者と会って話をしたが、両者を取り巻く「時代の変化」を誰もが口にするが、ほとんどが「評論家」になっている。
無理もあるまい。
ことに坊さんは、伝統にあぐらをかいているため、新しい発想や視点が持てないからだ。
私が週刊誌にいたころ、
「斬新な企画が欲しければ、人を入れ替えろ」
と、ある先輩から教わった。
既存の人間がいくら企画会議をやったところで、「視点」が変わらないのだから、斬新な企画など出るわけがないというのである。
坊さんがいくら「寺離れの危機」を口にしようとも、寺離れ、坊主離れ、葬式離れはますます加速していくことだろう。
いつの世も、時代は「傍目(おかめ)八目(はちもく)」が切り開くということを忘れてはならない。
墓参り行って思う
投稿日: