土、日は、埼玉県秩父の山中にある温泉地で合宿した。
若者から熟年まで40名ほどが集まり、空手と古武道をみっちり稽古である。
土曜日なんか、午前9時から夕方5時までという長丁場。
といっても、稽古するのは指導員と会員諸氏で、館長の私は「用なし人間」。
所在なく、ただ見ているだけだが、「傍目(おかめ)八目」とはよく言ったもので、ボーッと全体の稽古を見ているだけで、いろんな長所や欠点に気がついた。
「当事者でありながら、いかに当事者にならないか」
というスタンスを時折とってみることの大切さを、改めて再認識した。
それがドツボにハマらない秘訣なのだろう。
今週は、東京スポーツ紙が、「足るを知る(小欲知足)」について取材に来る。
ありきたりの仏教解説なら、私に取材はしないだろう。
「人間は、足るを知ることはできない」
というのが私のスタンスだ。
正確に言えば、
「人間は煩悩がそなわっている以上、欲から逃れることはできない。したがって、足を知るという生き方はできないが、『足るを知る』という考え方があるということなら理解できる」
となる。
これが、自分が自分の煩悩を「傍目(おかめ)八目」で見るということなのだ。
「なんや、わしは欲をかいとるやないか」
と気がつくだけで、「足るを知る」に一歩近づくのである。
そして、近づくのは一歩だけでよい。
一歩が二歩に、二歩が三歩にという生き方こそ、まさに「足るを知る」に反するからである。
足るを知る
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