私は、「苦労」を苦労と感じない。
苦労していないというわけではなく、
「苦労した」
という実感がないのだ。
「それは本当の苦労を知らないからよ」
と愚妻は言うが、苦労に絶対値はなく、それを苦労と感じるかどうかである。
たとえば、客観的に見て大金持ちだって、事業している人は、
「わしは、お金には苦労しとる」
とボヤくだろうし、ビンボーでも、
「毎日が極楽」
という人もいる。
だから「苦労」というものが存在するのではなく、それを「苦労」と感じるかどうかの違いがあるだけということになるのだ。
そういう意味で、私には苦労はない。
わがままな人間なので、イヤなことはやらないからだ。
「自分の意志」でやるのだから、苦労とは感じない。
イヤならやめればいいだけのことだ。
ここからさらに一歩踏みこんで考えると、何事も「やらされている」と思えば苦労になるし、どんなにつらいことでも、「自分の意志でやっている」と思えば、苦労と感じないということになる。
これが「自分を飼い馴らす」ということではないかと、つらつら考えるのである。
自分を飼い馴らす
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