昨日は朝一の飛行機で、某県の刑務所へ受刑者の面接に出かけた。
仮釈放がもらえれば私の担当になるので、今後のことなど事前に会って話しをし、信頼関係を築くことが目的だ。
これを施設面接と言いい、これまであちこちの刑務所に出かけた。
せっかく遠くまで行くのだから、できれば一泊し、その土地を見て歩きたいが、雑事に追われてその余裕がなく、いつも日帰りの強行軍である。
それで今回も朝一の出発で、帰宅は深夜になった。
帰途、「罪を憎んで、人を憎まず」ということを考える。
罪を犯すのは「その人間」であるから、その人を離れて「罪」は存在しない。
論理的に考えれば、「罪」を憎むということは「その人」を憎むことになる。
しかるになぜ、「罪を憎んで、人を憎まず」と諭(さと)すのか。
それは、やってはいけないことと頭ではわかっていながら、己(おのれ)の意志のおよばぬ縁によって罪を犯してしまう人間の業(ごう)を言うのだろう。
したがって憎むべきは、人間が等しく宿すこの業であり、「その人間」ではないというわけである。
仏法的にはそうだが、施設面接で、
「あんたが悪いんじゃない」
と受刑者に言えば、立ち会う刑務官は目を剥くだろう。
なぜ罪を犯すのか、更生するとはどういうことなのか、受刑者は獄中で何を考えているのか・・・。
刑務所に出かけると、いろいろ考えさせられるのだ。
刑務所へ出かける
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