歳時記

さわらぬナントカに祟(たた)りなし

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「あっという間に4日が経っている」
 と、このブログに書いてから、
「あっという間に4日が経ってしまった。
 仕事と雑用が怒濤のように押し寄せ、綱渡りの日々である。
 昼間、映画関係者と企画の打ち合わせがあって神宮へ出掛けたら、今日は神宮外苑の花火大会。
「花火を見ながらパーティやりますから、どうぞ」
 と誘っていただいたが、それどころではない。
 ノンキに花火見物などしていたら、尻に火がついた私が、それこそ〝打ち上げ花火〟になってしまうではないか。
 そんな状況を、さすがに愚妻も察してか、朝は一人で畑へ出かけた。
「行かないの?」
 というこれまでセリフが、
「行かないんでしょう?」
 と変わっていた。
 だが、そういう言い方をされると、私としても面白くない。
「行かないのではない、行けないのだ。言葉は正確でなければならぬ」
 と諭したところが、
「だから行かないんでしょ」
 と、不届きにも愚妻が次第にムキになってくる。
「行けないのだ」
「だから行かないんでしょ」
「違う、行けないと言っておるのだ」
「じゃ、行くの?」
「そういう言い方をしたのでは議論にならぬではないか」
「何よ、いつもごちゃごちゃ言うばっかりで!」
 そして、「何でもそうなんだから」「いつも言い出しっぺで、私に迷惑ばかりかけて」と、例によって〝言いかがり〟はエスカレート。
 私はただ、黙るばかりである。
 反論できないわけではない。
 さわらぬナントカに祟(たた)りなし。
 難局は沈黙で切り抜けるのが賢者の知恵というものだ。
 親鸞聖人は「祟り」といったことは否定するが、愚妻を前にすると、やっぱり祟りはあるのではないか、とバチ当たりにも思ってしまうのである。

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