こんな故事がある。
『明くる空には行くべし、暮るる空には行くべからず』
意味は、
「夜が明けようとしているときなら、暗くてもやがて明るくなるから安心して出発してよい。反対に、これから日が暮れるというときに出発するのは危険だからやめたほうがよい」
ということ。
この意味から転じて、
「いまは良くなくても、運気が上昇しつつあるときは多少の無理をしても断行せよ。反対に、落ち目のときは無理をするな」
と解釈される。
ただし問題は、
「自分の運気が上昇しているのか、落ち目になっているのか、どうやって知るか」
ということである。
知人である〝人生の先達〟は、私にこう言ったことがある。
「自分のまわりにいる人間を見よ」
類は類を呼ぶと言うことから、ツキに恵まれた人間が寄ってきていれば、それは自分の運気が上昇していること。反対に、不遇の人間が寄ってきているときは、運気が遠のいているときと言うわけだ。
「自分のことはなかなかわからないが、他人のことならよくわかる。だから周囲の人間を見て自分の運気を推(お)し量(はか)るんだ」
20年前に聞いた言葉を、なぜか今夜、唐突に思い出した。
親鸞は「占い」の類(たぐい)を厳しく戒めるが、占いにすがろうとする人間の心の弱さまでを否定しているわけではない。
親鸞の救いということか。
「運気」ということ
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