『水清ければ魚棲まず』
と、ことわざに言う。
意味は周知のとおり、
「清廉潔白も、あまりに過ぎると、煙たがられて人が寄ってこない」
というものだ。
清廉潔白は、生き方としては立派なように思われがちだが、そうではない。
利害が複雑に絡み、人それぞれ人生観も違う社会にあって、清廉潔白は、自分の生き方を貫くということにおいて「エゴ」と同義語なのである。
だから私は、清廉潔白な生き方をしない。
わざとしないのだ。
ところが、愚妻にはそのことが理解できない。
「濁った水にも魚は棲まないんじゃない?」
とバチ当たりなことを言うのである。
もっとも、言われてみれば、一理なしとしないか。
となれば、「人間は清くなり過ぎず、さりとて濁り過ぎず」をもって上々とするということになる。
そんな器用なことは、私にはできそうもない。
世渡りとは、何とも難しいものなのである。
「清い水」と「濁った水」
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