歳時記

メダカと駄犬と愛憎違順

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 メダカが、朝の餌の食いが悪い。
(ハハーン、寝起きだからな)
 と理解はしていても、おもしろくない。
 メダカが可愛くないのだ。
「ワーッ、エサだ!」
 と言わないまでも、エサに食らいついてくれば、私もうれしくなる。
 あるいは、わが家の駄犬の〝マック爺さん〟。
「おい、寒いからコタツに入れ」
 と、コタツの中に入れてやろうとすると、
「ウー」
 と、四股を突っ張って唸る。
「こら、駄犬! 私のやさしさがわからんのか。入れ!」
「ウー」
 かたくなに自己主張するのだ
「まったく駄犬とはしょうがないものだ」
 私が毒づくと、
「入りたくなんだから、放っておきなさいよ」
 と愚妻が〝マック爺さん〟の肩を持つ。
「バカ者。老い先短い駄犬が可哀想だと思うから、コタツに入れてやろうとしているのだ。その慈悲の心がわからんとは、畜生とは何と愚かな生き物であることか」
「あなたは、マックが自分の言うことを訊かないから怒っているだけじゃなくて」
 たまには鋭い指摘をするではないか。
 私は感心しつつ、
「人間の身勝手さをあらわすのに、愛憎違順(あいぞういじゅん)という言葉ある」
 と説法を始めた。
「愛憎違順とは、『自分の心に順(したが)う者に親愛の情をいだき、違(たが)う者には瞋(いか)りや憎しみをいだく』という意味で、人間の愚かさを言うのだ」
「ちょっと」
「何だ」
「人ごとみたいに言わないでよ。それって、あなたのことでしょう」
 愚か者は、私が我が身をもって愛憎違順を示していることに気がつかないのである。
 

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