「松の内」とは、正月の松飾り(門松)を飾っておく期間のことで、元旦から1月7日までを言う。
もともとは1月15日までだったが、いつのまにか7日に短縮されたのである。
時代を追って、せわしくなっているということか。
今朝、所用があって都内にクルマで出かけたが、年末年始と打って変わって、高速道路を走るクルマはみな、忙(いそが)しげであった。
「人生は短い。もっと楽しむべきではないか」
帰宅して愚妻に話すと、
「あなたは趣味で生きているからノンキなこと言ってられるのよ」
と憎まれ口を叩いたので、
「バカ者!」
即座に叱責して、
「私は趣味で生きているのではなく、生きることを趣味にしているのだ」
愚妻は返事をしなかったが、
「生きることを趣味にする」
という考え方は先日、スーパー銭湯の湯船で考えたことだ。
たとえば週1回、家庭菜園を楽しんでいるサラリーマンがいたとする。
この人にとって家庭菜園は「趣味」で、会社は「仕事」だが、これを逆に考えたらどうか。
家庭菜園を「仕事」、会社を「趣味」とするのだ。
むろん、意識の問題だ。
週に1回であろうとも、生活の糧(かて)を得ることがなかろうとも、家庭菜園を「仕事」とし、会社を「趣味」とする。
畑に行くときは、
「さあ、仕事だ」
と思う。
会社に行くときは、
「さあ、趣味だ」
と思う。
もともと家庭菜園は趣味なのだから、「仕事」になっても楽しく働ける。
一方、生活のために仕方なく働いている仕事も、「趣味」だと思えば気が楽になる。
これこそが「人生を趣味にする生き方」ではないか、と考えたわけである。
私がいつも感心するのは、沖縄のハブだ。
猛毒のハブは人間の敵だが、泡盛に漬けてハブ酒にすることで健康酒になる。この〝逆転の発想〟こそ、「苦」を「楽」に転じる方法なのである。
私たちの日々は、楽しいことより、つらいことのほうが多い。
だが〝逆転の発想〟で「苦」が「楽」に転じるとするなら、私たちの身のまわりには「楽」の種がゴロゴロころがっているということになる。
趣味を「仕事」に、仕事を「趣味」と考えるのは、その一例だ。
どうぞ、お試しあれ。
やってみると、気分はうんと楽になるはずだ。
趣味を「仕事」、仕事を「趣味」と考える
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