歳時記

壁にぶつかったら〝回り道〟

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 私のことを「楽天家」だと、愚妻は言う。
「いい性格よね」
 と、必ず続ける。
 誉めているわけでは、もちろんない。
 小言の締めくくりが、いつもこの言葉なのである。
 だが、私は楽天家ではない。
 見た目はどうあれ、あれこれ神経質に悩んでいるのだ。
 ただ、悩みつつも、
(しかしなァ)
 という思いがよぎるのだ。
(しかしなァ。悩んだところで、結局、なるようにしかならないもんなァ)
 悩むだけ損だ、という結論になり、悩むことをやめるのである。
 性格的に「悩まない」のではない。
 人並みに悩むのではあるが、悩むのを自分の意志で「やめてしまう」のである。
 悩みというタネはあるけれども、水も養分もやらないのだから、発芽しないということになる。
 この人生観に従って生きているだけなのに、愚妻は眼がフシ穴であるため、結婚して36年になるというのに、私が生来の楽天家に見えるというわけである。
 私たちはみんな、壁にぶつかり、ぶつかりしながら人生街道を歩いている。
 小さい壁であるなら乗り越えればよい。
 回り道するのは時間のムダだから。
 でも、大きな壁だったら、まわり道をしよう。
 人生は、壁を乗り越えるのが目的ではなく、人生街道を歩いて行くことなのだ。
 ところが、大きな壁であればあるほど、頑張って乗り越えようとする。
 だから途中で力尽きる。
 楽天家とは、ノホホンとした人間のことではなく、壁を回避し、鼻歌まじりで回り道ができる人のことではないだろうか。
 つまり、最後まで人生を捨てない人のことを言うのだ。
 そういう意味で人間はみな、楽天家になろうと努力すべきだろう。
 ノー天気な人間はいても、生来の楽天家はいない。
 楽天家は、努力してなるものなのだ。   

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