森羅万象、すべて「陰」と「陽」で成り立っている。
と言うよりも、「陰」があるから「陽」が存在し、「陽」があるから「陰」が存在する。
わかりやすく言えば、「夜」があるから「朝」という概念が存在する。
もっとわかりやすく言えば、「ブ男」がいるから「イケメン」が存在するわけで、すべての男がハンサムであったなら、「イケメン」は存在しないのである。
このことから、「存在するすべてのもの」は、陰と陽を合わせ持つことによって「存在する」ということになる。
となれば、「幸福」も「不幸」も煎じ詰めて考えていくと、
「幸福の中に不幸が存在し、不幸の中に幸福が存在する」
ということになる。
ところが私たちは、一面しか見ようとしない。
宝くじに当たれば
「ラッキー!」
となるが、宝くじに当たったばっかりに身を持ち崩すこともある。
すなわち「ラッキー」の中に「アンラッキー」が同居しているというわけだ。
あるいは大病という「不幸」に見舞われた人が、病床にあって初めて「生きることの幸せ」に気づいたとしたら、大病は不幸であって同時に幸福である、ということになる。
こう考えていくと、「幸福」も「不幸」もなく、「ラッキー」も「アンラッキー」もなく、「損」も「得」もなく、私たちはただ片面だけを見て、喜んだり悲嘆にくれたりしているだけなのである。
片面しか見ない生き方は、だから人生に裏切られるのだ。
「不幸は仏の顔をして現れ、幸福は修羅の顔をして現れる」
私の造語だが、心して生きていきたいと思う。
「片面」しか見ない生き方
投稿日: