歳時記

〝スイカに塩〟という逆発想

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 私はスイカが大好きだ。
 しかし愚妻は、スイカがあまり好きではない。
 だから夏のあいだ中、選挙運動のごとく、
「スイカ、スイカ」
 と連呼して、何とかありついてきた。
 そして、スイカを食べるたびに、甘みを引き出すために塩をふるという〝逆転の発想〟に、いつも感心するのである。
「甘くするためには砂糖をまぶす」
 というのが常識で、塩を振るなど誰が考えようか。
 だから私は、何かを発想するとき、いつも〝スイカと塩〟のことを考える。
 つまり〝逆発想〟だ。
 根拠はないが、とりあえず逆のことを考えるてみる。
「お金を手にしたければ、まずつかうことだ」
 私は愚妻を前にして言う。
「いいか、私は決して好きで無駄づかいをしているわけではないのだ。おまえの頭では理解できないかもしれないが、これが〝スイカに塩を振る〟という逆発想なのだ」
「あきもせず、くだらないことばかり言えるわね」
 バチ当たりがフンと鼻を鳴らし、私は言葉につまって押し黙るのである。
 そのスイカの季節もいつのまに過ぎ去り、ミカンの出番となった。
 愚妻はミカンが大好きだから、いつもテーブルの上に載っかっている。
「このミカン、おいしいわよ」
 愚妻が口に放り込みながらノンキな声で言う。
「塩をくれ」
「ハッ?」
「ミカンに塩をふると甘くなるかもしれん」
「バカみたい」
 またしてもバチ当たりは鼻を鳴らすのである。
 しかし、どんなに鼻を鳴らされようとも、人生の要諦は〝スイカに塩〟の逆発想にあるものと、私は信じて疑わないのである。

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