昨日は小学校の体育館を借りて、空手の稽古発表会を行った。
毎年の行事で、稽古の成果を保護者に見ていただくものだ。
「上手にやる」よりも「できるだけ楽しく」ということで、子供たちも保護者と弁当を囲んで楽しんでくれてようだ。
支部道場から多数の参加もあり、私にとっても楽しい一日だった。
それにしても、空手は他のスポーツにくらべてゲーム的要素が少ない。
基本は反復稽古だし、組手は恐いだろう。型の演舞にしても、一人で演じるのはプレッシャーがある。しかも、礼儀だなんだと、うるさく言われる。
そういう意味で言えば、子供たちにとって、空手は決して楽しいものではないだろう。
だから、空手の稽古には「克己心」がいる。
ここに空手の素晴らしさがある。
そして武道における段級位とは、樹木の年輪のようなもので、どれだけ自分に打ち克ってきたか、その証(あかし)なのである。
そう考えるとき、子供たちの稽古に対するモチベーションを何に求めたらいいのか。
「強くなる」「上手になる」「大会でメダルを取る」といったこともモチベーションを高める有効な手立てだろうが、それでは「勉強すれば成績がよくなる」と叱咤激励するのと同じだ。
「成果」を念頭において、現在を努力するという考え方は、成果至上主義であり、成果が得られなければ努力が無意味になってしまう。
空手の稽古が克己心を養うものとするなら、成果主義であってはなるまい。
努力する、その過程をいかに楽しくさせるか。
それは指導者の責務だろう。
(ならば、どうすべきか)
稽古発表会の演舞を見ながら、自問自答しつつ、人を指導することの難しさを改めて思い知った次第である。
昨日は、道場の稽古発表会
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