万年筆を買った。
お経がなかなか覚えられず、紙に書いて覚えようというわけである。
昨日のブログで、メモ用の手帳は100円ショップに限ると書いたが、万年筆はそうはいかない。
字を書くことの「ときめき」とでも言うのか、
(あの万年筆を使いたい)
という気持ちが起きることが大事なのだ。
これまで30余年前に買ったモンブランの太字を使っていた。
私が週刊誌記者として駆け出し当時、万年筆は「物書きの魂」とか何とかという一文を読んで、
(よし!)
と、ン万円という大枚をはたいて買った。
30年余前のン万円は大金で、高価な万年筆をいたわるように使ったものだ。
ところが、昨年の暮れあたりからインク漏れをするようになった。
メーカー修理に出したが、やっぱり直らない。
だが、このモンブランは30余年も苦楽を共にした「同志」である。
駆け出し当時、なけなしのお金をはたいて買った思い出の万年筆である。
リタイヤさせるのは忍びなく、手をインクで汚しつつ、いままで使ってきた。
(しかし――)
と、私は思い直した。
拙著で「諸行無常」を説きつつ、思い出の万年筆に固執したのでは言行不一致ではないか。
そこで、
(よし!)
と踏ん切り、新しい万年筆を買ったという次第。
この話をカミさんにすると、私の断腸にも似た思いを一顧だにせず、
「書けない万年筆なんか、捨てちゃいなさいよ」
と、そっけない返事であった。
奥さんから三行半をつきつける熟年離婚が大流行だそうだが、カミさんのこの態度に、
(なるほどなァ)
と、納得した次第。
女はリアリストなのだ。
女はリアリスト
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