「声を出して!」と、幼児たちの稽古時間に、私が声を張り上げる。
そのときは彼らもでっかい声を出すのだが、すぐに厭きてきて、声が小さくなってくる。
そこで、
「大きな声を出さないように! 館長の耳が痛くなるから」
と、逆を言ってみた。
館長とは私のことで、耳をふさぐジェスチャーをしながら言うのだ。
すると、どうだ。
「オッス! オッス!」
と、耳をつんざくような、でっかい気合い。
「おいおい、耳が痛いじゃないか! 大きな声を出さないように!」
私が顔をしかめて見せると、幼児たちは顔を真っ赤にして、さらにでっかい声を張り上げて稽古するのである。
あるいは、この時期になると、幼児や新一年生が入門してくる。
物怖じしない子もいれば、泣き叫んで道場に入ってこない子もいる。
親御さんにしてみれば、空手をやらせれば逞しくなってくれるだろうという思いで連れてくるのだが、当の子供がイヤだと泣き叫ぶのである。
親御さんのなかには、子供を抱えて強引に道場に連れ込もうとする人もいるが、逆効果で、ますます抵抗し、暴れることになる。
そんなとき、私はその子に言うのだ。
「入っておいで。そのかわり稽古しちゃだめだよ。見るだけ」
これでたいてい、頷いて、道場に入ってくる。
親子で見学しているうちに、これもたいてい親御さんが我が子に言う。
「ねっ。ちょっと、やってみたら」
すると、子供は泣き出す。
すかさず私が子供に言う。
「ダメダメ、見るだけだよ」
子供は落ち着きを取り戻して、コクリと頷く。
こんな調子で三回ほど見学しているうちに、子供はおずおずと準備体操の輪の中に入ってくるようになる。
そして、こうして入門した子が、一年もすれば逞しく育っていくというわけである。
ここまで書いて、ふと営業マンの常套句が脳裏をよぎった。
「どうぞ、ちょっとご覧になるだけでも」
人間心理の何と危ういことか。
ご用心、ご用心。
「見るだけだよ」という心理術
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