歳時記

鏡を見ながら「人類」を考える

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 私は、鏡を見ることがほとんどない。
 いや、見てはいるのだが、そこに映る自分をじっくり見ることがないという意味だ。
 朝風呂に入り、湯船のなかで頭を剃って歯を磨くので、鏡を見ることがないし、出かけるときは一応、姿鏡に映しはするが、それは服装を見るのであって、「自分」を見ているわけではない。
 そんな私が、たまたま鏡で自分を見て、
(ほう、わしは、こんな顔をしておるのか)
 と感じ入りながら、ふと、
(人類が最初に鏡で自分の顔を見たとき、どんな思いだったろうか)
 と、そんな考えがよぎったのである。
 調べてみると、鏡の起源は人類と同じほど古く、最古のそれは水鏡(水面)であったという。
 古代人が、魚を捕ろうと水面をのぞきこみ、そこに「見たこともない人間」の顔が映っていたときの衝撃は、どんなだったろうか。
「誰だ、この男は!」
「おまえじゃないか」
 と、連れの男はあきれて言ったろうが、当人は「?」だったことだろう。
 鏡がなければ、人間は生涯を通じて、「自分」を見ることはないのだ。
 鏡に映った自分を「自分」と認識できる能力を「鏡映認知」と呼び、これが自己認識の第一歩だという。
 つまり、鏡がなかったなら、人間は「自己認識」ができなかったかもしれない。
 人類が動物と決別したのは、二本足歩行と火の発見だと言われるが、これに鏡を加えるべきではないか、とそんなことを思いながら、鏡の中の自分と対話したのである。

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