周知のとおり、〝疑惑の銃弾〟が賑やかである。
知人の週刊誌記者は、
「27年という歳月に、アメリカ捜査陣の執念を見た」
と興奮していたが、ヘソ曲がりの私は、
「人ひとりの殺人事件にそこまで執念を燃やすアメリカが、世界のあちこちで戦争して人を殺してるのはどういうわけだ」
と皮肉を返した。
〝疑惑の銃弾〟で娘さんを殺されたお母さんの無念さは察して余りあるが、万引きで逮捕されるような人物がどうなろうと、私はさして興味がなく、三浦逮捕劇は、このブログではあえて触れないつもりでいた。
ただ、私の目を引いたのは、三浦氏の次のコメントである。
「米国に旅行するのは心情的に避けていたが、サイパンは米本土と違うと思っていた」
このコメントに接して、
(なるほどなァ)
と納得をした。
三浦和義氏と言えば、獄中において六法全書を熟読。東京拘置所からマスコミ相手に名誉毀損、プライバシー侵害訴訟を起こし、その件数は実に500件を超えると言われた。
しかも、勝訴率が8割。
示談を含めれば、まさに連戦連勝。当時、私は週刊誌にいたから知っているが、三浦氏の訴訟攻勢はマスコミ各社を戦々恐々とさせたものだった。
その三浦氏が、サイパンは米国本土とは違うと「思っていた」と言うのだ。
「違う」
と確信していたのではなく、
「思っていた」
という〝主観〟が、まさに〝上手の手から水〟だったのだろうと、私は納得をしたのである。
「人間は、得意分野でつまずく」
と、おっしゃっていたのは、気学天佑会の故平山喜堂会長だ。
平山会長とはブラジルへご一緒するなど、親しくさせていただき、いろんな人生の教えを受けたが、そのなかの一つが、
「人間は、得意分野でつまずく」
ということだった。
不得手な分野は慎重に対処するが、得意分野はどうしても気がゆるみ、タカをくくり、その結果、足もとを掬われるとというわけである。
ならば、私の得意分野は何か。
私が人生でつまづくとしたら、それは何においてか。
じっと考えた。
無いのである。
得意分野がないのである。
(と言うことは……)
そう、私は得意分野がないがゆえに、人生でつまづくことがないということになるのだ!
大発見をしたつもりで悦に入っていると、平山会長のカミナリが天から落ちてきた。
「バカ者! 得意分野がないということは、その場にじっとしていて動かないということ。つまづきもしないが、前へ進むことはないのだ」
そして、
《つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの》
どこかで見聞した文言が、ふいに脳裏に浮かんできた。
(そうだよなァ、じっとしてちゃいけないんだ。人間だもん、つまづいたっていいんだ)
と納得しつつ、
(でもなァ)
という思いもよぎる。
(この文言、三浦和義氏なら何と思うだろうな)
三浦氏のコメントを再読しながら、昨夜はあれやこれやと考えされたのである。
三浦逮捕で考える「人は得意分野で転ぶ」
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