明日から2月。
春、目前である。
春が来ればすぐに5月の連休で、そのあと梅雨入り。明ければ盛夏、お盆、秋と続いて、
「朝晩、寒くなりましたね」
こうして、瞬(またた)く間に1年が過ぎていく。
「時が経つのが早いね」
人に会えば、こんな挨拶が交わされる。
「まったくだね」
と、私は頷きつつ、
(何だか、いつもこのセリフを口にしているなァ)
と、妙な感慨を覚えるのである。
時が経つたつのが早く感じるられるのは、年齢のせいだろう思っていたが、そうでもないようだ。
道場生や、保護観察中の若者が私に「将来の不安」を口にすることがある。
「このまま漫然と人生が過ぎていっていのだろうか」
という不安である。
相手に応じて、私なりに話をするのだが、彼らに共通して感じることは、《人生》と呼ぶ〝何かが〟あるように錯覚していることだ。
「人生が不安なんです」
「なるほど。じゃ、キミの〝人生〟というやつを取り出して、俺に見せてくれんか」
「はッ?」
たいていキョトンとする。
当然だろう。
人生に「実体」はないのだ。
「今日」という一日を積み重ねた結果を「人生」と呼ぶに過ぎない。
すなわち、「今、この瞬間」が人生そのものということになる。
そこに気づかないから、漠然と人生に不安を抱くのである。
「明日」より「今日」、「今日」より「今」という生き方を、かつては刹那主義と言って批判した。
高度経済成長にむけて日本かひた走っていた時代だ。
「今」より「今日」、「今日」より「明日」――。
私も走った。
必死で走った。
だが、その結果、どれだけの幸せを得たのだろうか。
「明日」より「今」が大事。
私は実感をもって、そう思うのだ。
明日より「今が大事」という生き方
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