歳時記

「こども教育委員会」に思う

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 AC公共広告機構で、「こども教育委員会」なるキャンペーンが展開されている。
「うちのお母さんは
テレビとか見ているときに話しかけると、
なんか返事とかしなくて、もっとちゃんと聞いてほしい」
「パパがいつもお仕事に行っちゃって、
一緒にキャッチボールしようと思ってもできない」
「ちゃんとご飯作ってくれれば、
夜ご飯も楽しくなるのかなぁって思う」
「ウソついたら駄目だよとか言うくせしてさぁ、
自分たちが一番うウソいてる」
 子供が登場して、親を批判したり注文つけたりするCMのようなやつだ。
 私は最初、微笑ましく見ていた。
 耳も痛くて、
(そうだよな、大人って身勝手だよなァ)
 頭をかきたい気分だった。
 でも、最近は首を傾げるようになった。
 このキャンペーンの意図は、AC公共広告機構のホームページを見ると、
《今、子どもたちは親に対してどんな悩みを持っているだろうか。子どもたちのその「生の声」が聞けたら、きっと親子のコミュニケーションはうまくいくはず。そんな思いで企画された作品です》
 とある。
 意図はよくわかるし、それには大賛成だが、私がこのキャンペーンに、
(しかしァ)
 と首を傾げるのは、子供たちの発言が「こうして欲しい」という自分たちの欲求と、「親(大人)批判」の2つだけで構成されているからだ。
 私としては、親に対して「ありがとう」という感謝の言葉を入れたほうが効果的ではないのか、と思うのだ。
「でも、ボクはそんなお父さん(お母さん)が好きだ」という一語が、どこかにあれば、大人の気持ちはなごみ、そんな子供がいとおしくなり、子供の批判により耳を傾けるのではないか。
 いまの時代は、我が身を棚に上げて他人や世間の批判ばかりをする。そんな時代だからこそ、「感謝」や「思いやり」の言葉が視聴者の心に響くのではないと私は思うのである。
「お父さんて、身勝手だ」
 と批判されれば、
「なに言ってやがる!」
 と反論の気持ちが起こってくるが、
「お父さんて、身勝手だ。でも、ボクはお父さんが好きだ」
 と言われればどうだろう。
(そうかもな)
 と素直に我が身を振り返るのではないか。
 人間は結局、感情の生き物なのである。   

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