歳時記

人格完成の道は、遙か千里

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 ここ何回か、あえて時事ネタを避けてきた。
 話題持ちきりの亀田一家についても、赤福についても、防衛省の守屋前事務次官についても、論じる気がしなかった。
 なぜなら、すべて自業自得の結果にすぎないから。
 亀田一家が社会から糾弾される本質は「人格」であって、試合での反則行為は引き金に過ぎない。誰が悪いのでもない。自分たちが天に向けて吐いたツバが、当然の結果として、自分たちの顔の上に落ちてきただけのことなのだ。
 赤福だって、商品偽装がバレて、墓穴を掘っただけのこと。
 守屋某にしてもしかり。業者へのたかりがバレて、ヤバくなっただけのこと。
 自業自得について、あれこれ書くのは溜飲が下がって面白くはあるが、そんなことに興味が持てないでいた。このところ、気合いを入れてお経の練習をし、佛法を勉強し始めたので、そのことと関係があるのかもしれない。
 つまり、釈迦の世界に入っていくと、世間の不祥事や諸悪に対して、怒りが薄くなってきて、
「凡夫とは、何とも救い難いものよのう」
 ウッフフ――と達観の心境になってくるのである。
 土曜深夜、空手の稽古を終え、いま鴨川市の仕事部屋に来ているのだが、昨日の昼間、曽呂温泉の湯船に手足を伸ばし津つつ、我が達観の心を振り返って、
(どうやら、わしも人格完成まであと一歩にこぎつけたわい)
 と、これまたフッフフとホクソ笑んだところが、温泉帰りの夕刻のこと。
 カミさんと食事に立ち寄った店の接客態度があまり悪く、頭にカチン。だが、いつもなら、ひと声唸るところかが、思いとどまったのである。
(ウッフフ、やっぱり、わしは人格ができてきたわい)
 と嬉しくなり、そのことをカミさんに自慢すると、
「人格ができた人が、そんなことで、いちいち頭にくるの?」
「バカ者! 誰が人格完成だと言った。完成まであと一歩、だと言ってるんだ!」
「その、あと一歩が大変なのよね」
 この一言で、私は釈迦世界から、一気に現実世界に引きもどされた。
 見渡せば、頭に来ることばかりじゃないか。
「亀田親子、とんでもねぇ!」
「赤福、ふざけんな!」
「守屋、てめぇなんか売国奴だ!」
 お経を称える声も、なんだかトゲトゲしくなってきたようで、人格完成まであと一歩は、実は千里の道のりであると悟った次第。  

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