歳時記

明日は明日の風が吹く

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 予防医学が注目されている。
 病気は、「治すこと」より「罹(かか)らないこと」が最上というわけだ。
 医療予算の圧縮という行政の思惑は別として、
(なるほど)
 と私も思う。
「転ばぬ先の杖」というやつで、友人の整体師から、脳卒中にならないツボを教えてもらうと、熱心にツボを刺激している。検診も大事、運動も大事、健康サプリメントも大事、というわけである。
 だが最近、
(ちょっとまてよ)
 という思いが頭をもたげてきた。
 予防医学とは、
「病気になったら困る」
 という〝不安〟を前提にしたものだ。
 乱暴に言ってしまえば、
「病気になるかどうかわからないのに、病気になったら困るという理由で、普段から予防に気をつける」
 ということになる。
 この考え方が、私は釈然としなくなってきた。
「病気は、病気になってから対処すればいい」――そう思うようになってきたのだ。
 つまり、予防とは、「明日」という不確かなことに思い煩(わずら)うことであり、それは愚かな生き方ではないかと、考えるようになったのである。
 室町時代に、夢窓疎石(むそう・そせき)という禅僧がいる。
 彼の言葉に、
《極楽に行かんと思う心こそ、地獄に落つる初めなりけり》
 という一句がある。
「極楽に行きたいと、来世のことまでも願う心が、現世の苦しみになる」
 という意味で、人間の欲には際限がなく、来世のことにまで欲をかいているとして、「欲心こそが苦しみの根源である」と諭したものだ。
 これを私は、
「明日のことを思い悩むな」
 と解釈する。
 死後――すなわち「明日」という不確かなものに心を煩(わずら)わせる
根源こそ、「欲」にほかならないと考えるからである。
 以上のことから、予防医学の実相は、「明日のことを思い悩む」という延長線上にあると、私は考える次第である。
 ただし、だからといって不摂生をしていいと言っているのではない。
 節度ある生活をしていれば、「予防医学」などということを考える必要がなく、精神的にはむしろマイナスに作用していると言っているのである。
 予防医学にかかわらず、私たちは、「明日」という不確かなことに心を砕き過ぎるのではないか。
「明日は明日の風が吹く」
 かつて流行した言葉である。
 私は、この言葉が好きだ。

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