歳時記

難題を押しつける「ものは言いよう」

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 師走を控え、忘年会など、あれやこれや行事のお誘いがある。
 声をかけていただくのはありがたいことではあるが、気乗りしない飲み会もある。私より年長者が多かったり、気をつかわなければならない相手であったり、「知人の知人」という親しくもない人の集まりは、正直言って気が重く、なるべく断るようにしている。
 そんな飲み会の一つから、お呼びがかかった。
「来ねぇか」
 と言って来たのは、私より年長の知人A氏で、飲み会というのは、A氏の「知人」が主催する忘年会である。
 できれば断りたい。
 だが、A氏の顔をツブすのは失礼だ。
 
 で、私はA氏に電話した。
「行きたくないんですが」
「予定が入ってるの?」
「いえ、空いてはいるんですが」
「だったら30分でも顔を出したら。人が喜ぶことは、してあげたほうがいいと思うよ」
「わかりました」
 人が喜ぶことはしてやれ――A氏のこのひと言で私は決心し、出席の返事をした次第。
 だが、あとで考えると、A氏のこのひと言は、すごい説得術になっていることに気がついた。
 たとえば、A氏がこう言ったらどうか。
「気が乗らないだろうが、一つ頼むよ」
「わかりました」
 と答えるが、私は嫌々ながら行くことになる。
 しょうがないから出席する――という、受動的な気分になるからだ。
 ところが、「人が喜ぶこと」と言われればどうか。
「自分が喜ばすのだ」
 という能動的な気分になってくる。
 自分の出席が、「知人の知人」を喜ばせるのだという積極的な気持ちが出て来る。いいことをするのだ――という気分になるというわけである。
 やっかいな用事や難題を押しつけるなら、
「大変だろうが、ひとつ頼むよ」
 と言うのではなく、
「キミの努力にみんなが感謝だね」
 と言えば、嫌々ではなく、進んで引き受けてくれるだろう。
 言葉とは、ことほど左様に怖いものなのである。

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