歳時記

「無常」という素晴らしさ

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 五十代半ばにして、「無常」という言葉が、実感をもって理解できるようになってきた。
 無常とは「常(つね)ならず」いう意味で、サンスクリット語を漢訳した仏教用語である。「諸行無常」という使い方をし、これは「すべてのものは変わっていく」という意味で、形あるものはもちろん、幸せも、不幸も、価値観も、人生観も、人間関係もすべて、時の移ろいと共に変わっていくとする。
 たとえば、この人とは一生つき合っていこうと思うほど仲のよかった人と、ちょっとしたことがキッカケで気持ちが離れたり、虫が好かないと思っていた人間を見直したり、あるいは抱いていた夢が色あせて見えてきたり、くだらないとバカにしていたことが素晴らしく思えてきたり……。恋い焦がれ、周囲の反対を押し切って駆け落ちした恋人が、やがて憎しみ合って別れるというのは、世間でよくある話だ。
 要するに、良くも悪くも、「いまの気持ちは、やがては変わる」ということなのだ。
 だから「無常」とは、幸せはいつまでも続くものではないという戒めであると同時に、いまどんなに苦しくても、あるいは不幸だと絶望していても、それは「変わる」のだという「救い」でもある。
 苦しみの本質は、「苦しいこと」ではなく、「この苦しい状態が一生続くのではないか」という絶望感にある。
 いま苦しくとも、来年になれば解決するとわかっていれば耐えられる。いまお金がなくても、来年になれば大金が入ってくるとわかっていれば辛抱できる。「解決のゴール」が見えないからこそ、苦しむのだ。
 だが「解決のゴール」が見えなくとも、人間の心も、この世の中も「無常」――すなわち「すべては変わっていく」という真理を知っていれば、それは「解決のゴール」が見えているのと同じということになる。
 いまどんな境遇にあろうとも、あわてず、あせらず、淡々と生きていればよい。
 ちょっと元気を出して、ニコニコ笑っていればいい。
 すべては、変わる。
 人間の意志を超えて、すべては変わっていくのだ。

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