歳時記

「信じる」とは「問わないこと」

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 最近、思うところあって「信用」について考えている。
「信用は人生の財産」と言われるが、言い換えれば、それだけ人を信用するのは難しいということなのだ。
 たとえば、前々から友人と約束をしていて、当日、断りの電話が来たとする。
「悪いけど、急な用事ができて行けなくなったんだ」
 これに対して、あなたは何と返事をするだろうか。
「そうか、わかった。気にしなくていいよ」
 と返事すれば、友人を信用していることになる。用事の中身を問うこともなければ、
(何だ、今日になって)
 と腹立たしくもならない。当日になってキャンセルしてくるくらいだから、のっぴきならない用事なのだと了解する。
 これが信頼関係。
 すなわち、「信用する」とは「問わないこと」であり、「信用される」とは「問われないこと」なのである。人格に対する納得と言ってもいいだろう。
 これに対して、
「急な用事って何だい?」
「納品した機械がトラブルを起こしたんだ」
「そうか、わかった」
 理由を聞いて了解するのは、「理屈」に納得したのであって、相手の「人格」に納得したわけではない。
 裏を返せば――そうと意識していなくても――友人を信用していないことになる。
 太陽は、東から出て西に沈む。
 これが自然であり、私たちは「太陽は東から出るもの」と信じている。
 これに対して、
「どうして太陽は東から出るんだ?」
 と問い、
「地球は自転しながら太陽のまわりを廻っていて……」
 と説明されて、「なるほど」と納得するのは「理解」であって、「信じたこと」ではないのである。
 信じるとは、理屈を超越した先にあるものなのだ。
 愛もしかり。
 憎しみには理由があるが、愛に理屈はない。もし愛に理屈があるとすれば、それは打算と言うのだ。

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