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視線の方向を変える
2019/7/10
過日、銚子市にある犬吠埼ホテル近くの砂浜を歩きながら、記念になるような貝殻がないか探した。 これというものがなかった。 ガッカリしながら、いま来た海岸を引き返していて、とてもきれいな貝殻をひょいと見つ ...
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「今日」を生きる
2019/7/5
夢に向かって努力する。 勤勉さの根源は、この人生観にあるとする。 だが「将来の結実」を念頭に置いて「今日の努力」をするという、ゴールからスタートを見る生き方で幸せになれるのだろうか、 「将来の結実」を ...
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「十人十色」ということ
2019/7/2
人はそれぞれ考え・好み・性質などが異なる。 これを十人十色と言う。 肉が嫌いな人間に向かって、 「こんな美味いものを食べないなんて、どうかしてるんじゃないか」 と、あきれるのは余計なお世話。 「あっ、 ...
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道心と衣食
2019/6/25
仕事観に二つあり。 「収入」を念頭におく働き方と、その真逆である。 つまり「食うために働く」と考えるか、「働いていたら食えた」と考えるかの違いである。 「道心のなかに衣食(えじき)あり、衣食のなかに道 ...
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形見を遺さず
2019/6/19
形見とはモノに仮託した「人生」のことだ。 文豪の万年筆、有名野球選手のバットやグローブ、あるいは父の着物、母の指輪。 「かく生き、かく在った」という証であり、その価値は名利に比例する。 同じマフラー一 ...
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「疑いの心」考
2019/6/13
「疑いの心既に生ぜば、解を得るの議有るべし」(法華経義疏) なぜ、と疑問が浮かんだときこそ、それを解明するチャンスだという意味だ。 ニュートンは木から地面に落ちるリンゴを見て、 「なぜだ?」 という疑 ...
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「縁」を肯定する生き方
2019/6/10
因縁生起。 略して「縁起」と言う。 仏教の根本原理をなすもので、《因》が《果》を生起し、《果》が《因》となって、さらに《果》を生じるということ。 これを釈迦は「重々無尽」と言った。 つまり、自分を取り ...