『耳順』という言葉がある。
「じじゅん」と読む。
60歳の別称である。
「60にして耳に順(したが)う」
という孔子の言葉からとったもので、
「何事を聞いても耳にさからうことなく、素直に聞きとることができるようになった」
という意味だ。
だが、「素直に聞きとる」とは具体的には何をさすのか、ということになるとハッキリしない。
「何を聞いても、みなスラスラとわかるようになった」
という解説書もあれば、
「人の言葉を素直に聞けるようになった」
というのもある。
どっちの説にせよ、『耳順』は字のごとく、「人の話」がスーッと耳に入っていくということにおいて、両者は共通している。
このことから私は、『耳順』の意味を「自我に固執するな」と読み解く。
要するに、
「年をとったら、頑固者でいたらあきまへんで」
ということだ。
では、なぜ年をとると頑固になるのか。
それは、加齢につれて知識や価値観など新しいものが吸収できなくなるため、古い知識や経験、価値観にしがみつくからである。
だから孔子は、
「そのことに気づき、相手の話を自分の価値観で判断してはいけない」
と諭したのだろう。
以上のことから、
「本日をもって好々爺(こうこうや)になる」
と私は愚妻に宣言した。
いまのご時世、60歳は好々爺には早いが、その心境に達するには5年はかかるだろう。
だから、いまから好々爺をめざしてちょうどいいのだ。
だが、私のこの心境は、愚妻にはとうてい理解のおよばざるところで、
「じゃ、これから、お爺さんと呼べばいいのね」
ノーテンキなことを言って、
「ちょっと、お爺さん」
と呼ぶのである。
やっぱり「お爺さん」は、あまり気分のいいものではない。
好々爺宣言は時期尚早と判断し、たちまち撤回したのである。
「好々爺(こうこうや)」という言葉
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