わが家で私は、ときどき「武家言葉」をつかう。
愚妻が時代劇マニアであるからだ。
武家言葉を使えば、愚妻がたちまちノッてくるのである。
「これ、茶を所望(しょもう)したい」
「その方、誉めてつかわすゆえ、拙者の肩をもむがよい」
「出立(しゅったつ)じゃ、支度(したく)いたせ」
「もう、しょうがないわね」
とプリプリしつつも、これでたいていのことは言うことを聞いてくれる。
武家言葉だけではない。
「ちょっと、脱いだ服はちゃんと二階に持って行ってよ!」
愚妻が怒れば、
「合点だ!」
と、一心太助になるし、いつまでも愚妻の小言がやまないときは、
「もういいでしょう」
と、水戸黄門になったりもする。
都合が悪いことを言われたときは、
「なぬ? しかと聞こえぬが、何か申したか?」
こう言って、とぼければいいのだ。
で、昨夜、映画に行った。
理由はない。
先日、急に観たくなったのだ。
だが、一人で行くのは億劫だ。
必然的に愚妻を伴うことになる。
「何を観たい?」
「時代劇に決まってるでしょ」
で、『武士の家計簿』にして、時代劇を観るなら、むろん私は着物に羽織で出かけたのである。
内容もよかったが、会話や立ち振る舞いがよかった。
親子や夫婦においてさえも、礼をわきまえ、それでいて凛として言葉づかいがいい。
テレビで観るチャンバラは、
「なんだかなァ」
という気分だが、こうした時代劇は悪くない。
(時代小説をまた書いてみたいな)
と、いい気分になって映画館を出たら午後の8時過ぎ。
「夕餉(ゆうげ)はどういたす?」
袂(たもと)に手を入れ、ゆるりと歩きながら武家言葉で問いかけたところが、
「フレンチ? イタリアン?」
何とも興ざめなカタカナ言葉が返ってきたのである。
「これ、フレンチだのイタリアンだのと面妖なことを。それは夷狄(いてき)の食べ物であるか?」
「バカなこと言ってないで、何を食べるのよ」
とは言いつつ、顔は笑っている。
武家用語の効用ということか。
夫婦関係はゲームなのだ。
夫婦は「ゲーム感覚」
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