「ブログ、読んでいますよ」
と言われると、ありがたいと思う。
そして、次にブログを書くときは、そう言ってくれた人の顔が思い浮かべ、
その人が読んで面白いものを書こうと思う。
ところが、「読んでいます」をいろんな人から言われると、頭がこんがらかってくる。
若い人もいれば年配もいらっしゃるし、男も女もいる。
誰に向けて書けばいいのか、ハタと困るのである。
かくのごとし、好き勝手に書いているはずのこのブログでさえ、「他人の目」に引きずられているのだ。
まして、日常生活において「他人の目」を気にせず生きるということは、不可能ということになろうか。
私から見れば、周囲の人は「他人の目」。
周囲の人から見れば、私は「他人の目」。
すなわち、お互いがお互いを気にし、窮屈な人生を送っていることになる。
そう考えると、何だかバカバカしくなってくる。
いや、死に向かって走りつづけることを「生きる」とするなら、生きること自体、とてつもなくバカバカしいことではないか。
ゆえに、人生は大いに楽しむべし。
「わかったか」
つい先ほど、九十九里の温泉健康ランドに浸かった帰途、愚妻に話してきかせたところが、
「これ以上、あなたに楽しまれたら、たまったもんじゃないわ」
なんとバチ当たりなことを。
人生のバカバカしさに気づかない愚か者と、私は暮らしているのだ。
生きるという「バカバカしさ」
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