人間の「欲望」について、お釈迦さんのこんな言葉がある。
「たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない」
物質的に満ち足りた生活を求めながらも、欲望は決して満たされることはなく、満たされないがゆえに苦しむというパラドックスである。
「不自由を常とおもへば不足なし」
とは徳川家康の遺訓だが、仏教に造詣の深い家康のことだから、お釈迦さんのこの言葉を〝意訳〟して家訓に残したのだろう。
「聞け」
九十九里の温泉健康ランドの帰途、立ち寄ったイタメシ屋で、私は愚妻に告げた。
「釈迦にいわく。『たとえ貨幣の雨を降らすとも、欲望の満足されることはない』。これが人間の実相だ。わかるか?」
「さあ」
愚妻は白ワインを豪快に飲み干して、
「欲望が満足されなくてもいいから、貨幣の雨を降らして欲しいものね」
「このバチ当たりが」
叱責しようとして、言葉を飲み込んだ。
愚妻の言うことにも一理あるではないか。
(あくなき欲望に苦しもうとも、貨幣の雨を降らしてくれるなら、それもウェルカムだ)
と思いつつ、バチ当たりの愚妻に感化されている自分に気がつき、心境は複雑になっていくのである。
「欲望」と「貨幣の雨」
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