歳時記

「ウォーキング」から「散歩」

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あれやこれやと忙しく、今日は何とか時間をヒネリ出し、ほぼ一ヶ月ぶりのウォーキングである。
青空の下、新緑がなんとも気持ちがいい。

この季節のツツジ、秋口のコスモスが私は大好きなのだ。

だが、「ウォーキング」という言い方は「健康餓鬼」のようで、カッコ悪くはないか。
健康のために早足で歩くなど、煩悩の極(きわ)みであろう。

この歳になれば健康への執着は捨て、季節の移ろいを愛でながらのんびり歩くのだ。
「ウォーキング」ではなく「散歩」と意識を変えることにして、わざとゆっくり歩いた。

当然、時間がかかる。

「おそかったわね」
愚妻が心配するかのような口をきいてから、
「倒れたのか思うじゃない」

すぐさま憎まれ口を叩く。
腹立たしい限りである。

それでも私は気を取り直し、春の草花を愛でながら歩いたことを説明すると、
「ちょっと、花ならうちの庭にも咲いているじゃないの」

目くじらを立てる。
我が家の庭の花には何の興味も示さずにおいて、わざわざ遠くの草木に感心するなど、どうかしていると非難するのだ。

なるほど、そうか。
人間は「足下の幸せ」には気づかないで「青い鳥」を探すということが、我が身を通して知れるのだ。

となれば、私は愚妻にとって「足下の幸せ」であるにもかかわらず、愚妻はそのことに気づかないでいる。

そのことを説明しようとしたが、話がこじれると面倒なので黙っていた。

さて、明日は納骨法要があり、そのあと保護観察対象者に面接。
うまくすれば夕方から「散歩」できるかもしれない。
庭の花を見てから出かけるかとするか。

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