ケンカは、止めに入れば当事者はいきり立つ。
(止めてくれる)
という安心感があるからだ。
「クサリにつながれた犬はよく吠える」
というやつだ。
反対に、
「やっちゃまえ!」
クサリを外してけしかけると戦意後退で、シッポを巻く。
これが人間心理だ。
台湾有事をめぐる高市発言も同じで、
「ケンカしちゃダメダメ」
謝るべし、という声が大きくなれば、
「冗談じゃない!」
日本政府はいきり立って、
「ペルソナ・ノン・グラータ! 厳重に抗議する」
となる。
反対に、
「やっちまえ、中国なんかクソくらえ!」
けしかけると政府の戦意は後退して、
「いやいや、そんなことはお互いにとってマイナス。ここは戦略的互恵関係の原点に立ち帰るべし」
お茶を濁しつつ、落としどころを探ることになる。
何事もそうで、人をけしかけるときは、
「無理しなくていいじゃないか」
わざと宥(なだ)めれば、
「そうはいくか!」
気色ばむ。
反対に、思いとどまらせるときは、
「やっちまえ!」
ガンガン煽(あお)れば、
「しかし」
と躊躇する。
「今日も日帰り温泉に行くのか」
愚妻に嫌味を言って引き止めると、
「膝の治療をしているのよ!」
居直る。
反対に、
「膝の治療なんだから毎日行くんだぞ」
あおると、
「そんな毎日なんて大変じゃないの」
腰が引ける。
人間を動かす要諦は、
「敵は本能寺」
なのだ。