愚妻が「ムダ」ということを口にするようになった。
メディアで「省庁のムダ」が論議されているで、その影響を受けてに違いない。
「着物なんて、ムダじゃないの?」
「アマゾンですいぶん本を買っているけど、ムダじゃないの?」
「また出かけるの? 何の用事だか」
なるほど、省庁にはムダがある。
私にもムダはある。
だが、仏教的に考えれば、
「この世に不要のものはない」
ということになるし、このことを私はいつも口にしている。
だから愚妻に言った。
「この世に不必要なものはないのだ。不要と思うのは、たまたま現時点において近視眼的な価値観で見て」
「私はダマされません!」
私をニラんだ目は、
(あなたの存在そのものがムダなの)
と告げているように、私は感じたのだった。
昨夜、知人の還暦のお祝いを内々でやった。
人生について、いろいろ語りあった。
だが、そんな人生論がいかに甘っちょろいものであるか、我が愚妻に対峙して、つくづく思い知ったのである。
「生きる」とは、「目前の現実」と格闘することなのだ。
(人生論は逃避であってはなるまい)
あらためて、そう思ったのである。
「人生論」は逃避であってはならない
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