友人が急死した。
十日ほど前に近々会おうと電話をもらったばかりだ。
彼は今年70歳を迎える。
空手仲間でもある。
3月に心筋梗塞で救急搬送されているので、これからはのんびり暮らしたほうがいいと伝えると、
「空手関係の役職をすべて辞し、そうするつもりだ」
と元気な声で言っていた。
それからわずか十日後に亡くなった。
臨終のとき、友人の奥さんは、
「起きなさい! 起きなさい!」
と、泣きながらご遺体にとりすがり、ゆすっていたと知人から通夜の席で聞いた。
「老少不定なれば死は時を選ばず」と言うかごとく、私たちは明日をも知れぬ命を生きている。
「一生のすみやかに過ぎ去ること、稲妻のごとし」であるなら、「明日」が来るかどうかはわからない。
不確かな明日などあてにせず、「今」をどう生きるか、そのことに全力を傾注すべきだろう。
不平、不満、悩み、嫉妬、自慢・・・・。
稲妻にも似た短い人生において、そんなことに心をわずらわせるのは愚かなことではないか。
友人の死は、無言で私にそのことを語りかけていた。