中川翔子さんのブログ更新回数が、1日100回を達成したというニュースを見て、思わず唸った。
回数の多さにではない。
こういうことがニュースになる、というメディアの価値観に唸ったのである。
唸りながら、つらつら考えてみると、どうやら現代は「量を誇る時代」のようである。
お金持ちから大食いチャンピオン、ブログの更新回数まで、他人より「過多」であることが称賛されている。
だが、かつて日本は、節約とか倹(つま)しさ、節度など「過小」であることが美徳とされ、「過多」は貪(むさぼ)りとして蔑(さげす)まれたものだった。
「過多」と「過小」の是非は別として、なぜ「質」でなく「量」に価値判断を置くのだろうか。
ここに本質を見誤る原因があるように思う。
たとえば人間の幸・不幸は、長寿という「量」でなく、人生の「質」によって決まる。
国が真の意味で豊であるかどうかは、GDP(国内総生産)という「量」ではなく、社会福祉など実生活における「質」で決まる。
すべては「量」より「質」が大事なのだ。
ところが、ボーダレスや地球規模、スケールメリットという言葉に幻惑され、「大きいことは、いいことだ」と私たちは錯覚してはいまいか。
胡蝶蘭のハデさはなくとも、道ばたに咲く可憐な花を美しいと感じるような人生でありたいと、翔子さんのブログ更新記録のニュースを読んで、ふと思うのである。
「量」より「質」の人生
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