今朝、久しぶりに畑に出かけた。
「ありゃ、芽が出とらんでぇ」
指南役の親父が、畑をのぞきこんでボヤいた。
ジャガイモの芽が出ているかと期待して行ったが、寒さのせいか、まだ芽は出ていなかったのである。
収穫担当の愚妻は、芽が出てもいないジャガイモなど目もくれず、そそくさとホウレンソウの収穫にかかっている。
畑は、ジャガイモの芽の変わりに、草がしっかりと生えている。
草引きは私の担当である。
さっそくクワを振るうが、たちまち汗びっしょり。
しかも、草は一面にびっしりである。
(楽しみで始めた畑なのに、なんのこっちゃ)
ウンザリしたところで、
(そうか)
と、思い直した。
全部の草を引こうと思うからウンザリするのだ。
そうではなく、
(少しでいいんだ。今日のぶんだけ草を引けばいい。やらないよりは、やったほうがいい)
そう思えばいいのではないか、と気がついたのである。
私の人生観である「ベスト」より「ベター」である。
すると、草引きが楽になった。
(もうちょっと取るか)
と、今度は進んでやるようになった。
同じ作業であっても、ノルマの意識から解放されると、人間は楽しんでやるということがよくわかるのである。
他人をだますことを「手玉に取る」というが、私の場合、「自分」を手玉に取るのだ。
そして、自分を手玉に取ることができれば、「自分の人生」を手玉に取ることができる。
これぞ、楽に生きる方法ではないか、と畑でハタと考えたのである。
「自分を手玉に取る」という生き方
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