私は法務のときは、法衣や法具を入れたカバンのほかに、肩から掛ける小さなポーチを持って出かける。
ここにスマホや手帳などを入れておくのだ。
だから、たいていクルマに残しておく。
で、過日のことだ。
「そのポーチ、いつもどうしてるの?」
法事に出かけるとき、愚妻がポーチに目をやって言った。
「クルマに置いておる」
「クルマのどこに?」
「助手席だ」
「ダメよ、見えるところに置いちゃ!」
大きな声を出して、こう言った。
「ポーチの中に何にも入っていないのに盗られたらどうするのよ。お金でも入っていれば、盗られても仕方ないけど」
私は一瞬、頭がこんがらがった。
こんがらがった頭で考えるに、愚妻はこういうことを言わんとしているのだろう。
「お金が入っているものとドロボーに勘違いさせてはいけない」
愚妻は単に舌足らずなだけなのだが、これは実に高度な逆説になっているのだ。
こういうことに限らず、愚妻の問いかけは常に私に考えさせる。
私が居間でオナラをすると、
「ちょっと、どうしてオナラするのよ!」
と言って怒る。
「どうして」という問いに対する答えは、視点によっていろんな答えがある。
何と答えようかと思案していると、
「どうして黙っているのよ」
と追い打ちをかけてくる。
なぜ黙っているかを答えるには、「なぜオナラをしたかを考えている」ということを説明しなければならない。
こうして私は追い込まれていくのだ。
相手を追い込む基本は、「相手が一言では答えようがない質問」をすることだが、愚妻はわかってそうしているのではなく、これは本能的なものだろう。
だから強く、私は決して論破できないでいるのだ。