仏法の本質を「列車」に、すぐれた先達を「停車場」にたとえ、
「列車に乗りたければ停車場へ行け」
と、明治時代、西本願寺の名僧として知られる七里恒順は喝破する。
理屈をあれこれ学んでみても、それは線路の上をうろうろと行きつ戻りつするようなもので、いつまでたっても列車に乗ることはできないというわけだ。
この言葉を私たちの現実生活で読み解けば、「苦悩の処方箋」となる。
「なぜ人間関係に苦しむのか」
「なぜ自分は幸せになれないのか」
「なぜ病気で苦しまなければならないのか」
私たちは多くのことに悩み苦しむが、原因を常に「外」に求める。
だが苦しみの本質は自分にある。
自分の心が苦しみを生み出しているのだ。
他人をうらやむ心、嫉妬する心、比べる心にこそ原因があるにもかからわず、そのこと気づかず、線路の上をうろうろと行きつ戻りつしているのが、私たちの姿である。
「苦悩から救われたければ、我が心を問え」
私は七里恒順の言葉を、そう読み替えるのだ。