歳時記

「得れば、失う」という覚悟

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 昨夜、スーパー銭湯の湯船に浸かっていたら、若い父親が男児を連れて私の隣に入ってきた。
 4、5歳児か。
 その子を抱いて肩まで沈みながら、
「ハーイ、1から100まで5回数えて」
 明るい声で言った。
 湯冷めさせないようにと、どこの親御さんでもやっていることだろうが、
「1から100まで5回」
 と聞いて、私は、
(そんなの、ありえねぇ)
 男児も同感のようで、
「そんなにたくさん、数えられない」
 たどたどしく抗議したころ、若い父親はニッコリ笑って、
「じゃ、100から1まで1回でいいよ」
「わかった!」
 男児は喜んで数え始めたが、当然ながらスムーズにはいかない。
 しかしながら、逆から数えるということが面白いらしく、
「……88、87、86……ええっと……85……」
 男児は飽きもせず、楽しそうに数えている。
 結局、「1から100まで5回」よりも、はるかに時間がかかり、それだけ男児はしっかり温まったことになる。
 若いが、この父親はたいしたもんだと感心しながら、ふと別の考えがよぎった。
 つまり、「身体を温める」ということにおいて、目先を変える数え方は有効だが、「我慢させる」ということにおいはマイナスではないか、という思いである。
「……85、86、87、88……」
 順当に数えていくのは、まさに我慢と辛抱である。
 なぜ、そんなことを思ったかというと、空手の稽古方法で考えていたことがあるからだ。
 たとえば「その場突き」で100本を突かせようとすると、子供なら飽きてしまう。
 しかし、「稽古時間内に総計100本を突かせればよい」と考えれば、子供を飽きさせないで突かせることはできる。
 そう考えて目先を変えて練習をさせていたのだが、それは湯船に浸かるのと同様、「突く」という技術においては有効でも、「我慢させる」という精神面での稽古ではマイナスだろう。
 どっちの方法がいいかではなく、「プラス面とマイナス面がある」ということに指導者は気づくことが大切だろうと思った次第。
 風呂や空手の例に限らず、何事においも、必ずプラスとマイナスの両方がある。
 しかるに私たちは、プラスの面しか見ようとしない。
 だから、あとになって、
「こんなはずじゃなかった」
 と愚痴をこぼす。
 何かを得ようとすれば、同等の何かを失うのだ。
 いや、「失うかもしれない」のだ。
 自戒を込め、そういう厳しい覚悟が私たちに欠けているような気がしてならないのである。

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