歳時記

「言い方」を考える

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法務は、時間に余裕をもって出かける。
会葬者は遅れてもいいが、坊さんが遅れたのでは葬儀も法事も始まらないからである。

そのため、事前に調べておいて、式場近くのファミレスやファーストフード店で時間調整をする。

このところマクドナルドが私のお気に入りで、よく利用する。

で、昨日の法務でのこと。

コーヒーを注文すると、
「Mサイズでよろしいですか?」
若い女性店員がニッコリ笑顔。

「いや、Sだ」
「MもSも、お値段は一緒ですが」

あとで愚妻に聞いたら、いまキャンペーンでMサイズも100円とか。
女店員は親切でそう言ってくれたのだが、私はそんなキャンペーンは知らない。

エソ曲がりの私は、ここでMサイズにすれば、
(「値段が一緒」の一言につられたと思われるのではないか)
と考えたのである。

だから憮然として言った。
「私はSサイズが好きなのだ」

彼女は一瞬、「はッ?」といった顔をしたが、
「承知しました!」
ニッコリ笑顔で言ったのである。

帰宅してこのことを愚妻に話してきかせ、
「女店員の親切心はわかるが、『MもSも、お値段は一緒ですが』という言い方に問題があるのではないか」
と言ったら、
「おかしいのは、あなたよ。素直にMサイズをもらえばいいじゃないの。店員さん、気の毒に、悪い客に当たったわね」
「いや、私は悪くない。断じて悪くない」

正当性を頑として主張したが、愚妻も「おかしいのは、あなた」を譲らないのである。

言葉とは難しいものだ。
「言い方が悪い」と「聞き方が悪い」は常に相対立するのだ。

「ちゃんと言ったでしょ」
「聞いていない」
「言ったわよ!」

夫婦の不毛の論争も、とどのつまりは「言い方」と「聞き方」に帰着するのだ。

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