「疑いの心既に生ぜば、解を得るの議有るべし」(法華経義疏)
なぜ、と疑問が浮かんだときこそ、それを解明するチャンスだという意味だ。
ニュートンは木から地面に落ちるリンゴを見て、
「なぜだ?」
という疑問から万有引力を発見する。
あるいは武道の心得に曰く。
「稽古をば疑うほどに工夫せよ 解きたるあとが悟りなりけり」
だが一方で、
「衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし」(教行信証)
という言葉がある。
「疑う」の是非は一筋縄ではいかない。
ならば、人生はどうか。
自分の人生を疑ってハッピーになった者はいない。
私の経験則である。