テレビで、高齢者のひとり暮らしを放送していた。
今日、木曜日は道場の稽古がなく、自宅二階の自室で原稿を書いていて、ひと息入れに居間に降りたときのことである。
年金暮らしの厳しさがテーマだったので、
「長生きも考えものだな」
と、テレビを見ていた女房に私は言った。
「人間は誰でも死ぬ。70歳が80歳まで生きたからいって、どれほどの意味があろうか」
「じゃ、あなただけ、さっさと死んでくださいな」
バチ当たりが、ちっともわかっていないのである。
気を悪くした私は自室にもどり、執筆前にインターネットでニュースをチェックすると、市川崑監督の訃報が載っていた。92歳。老いてなお創作意欲を失わなかったと報じていた。
故人をよく知る人として、ベルリン映画祭に出席していた吉永小百合さんと山田洋次監督のコメントが載っていた。
吉永小百合さんは絶句。
コメントを求める取材陣に対し、関係者を通じて、
「すぐにお答えすることができそうにもありません」
と伝えたという。
山田監督も同様に、
「とても大きなショックです」
とうつむいて沈黙。
数秒間を置いてから、
「今、それについて考え方をまとめて言うことはできません」
と話すのがやっとだった報じられていた。
ショックの程がうかがえ、心情察して余りあるが、二人の様子を読みつつ、私はふと考えさせられた。
私の父親は、市川監督より若いが、それでも84歳。
持病もあり、遠からず逝くだろう。
仏法を説くまでもなく、これが生きとし生ける物の必然である。
厳しい現実だが――私と後か先かは別として――いずれ逝く。
だが、この理(ことわり)をしっかりと踏まえることによって、相手に対する尊敬や感謝、慈悲の念が生まれるものと、私は思う。
だから、年齢から考え、父親が先に逝ったとしても「突然のショック」に私は沈黙することはないだろう。
いや、父親の死を「突然のショック」と受け止めるような〝親子関係〟でありたくはない――と、吉永、山田両氏のコメントを読み返しながら、ふとそんなことを思った次第。
もちろんお二人とも「公人」である。
公人としてのコメントを発せられたのだろうと思う。
それはそれでよとしながら、「死」が人間にとって最大のテーマであることを、恥ずかしながら、いま再認識しているところである。
「市川監督逝去」と「絶句」
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