今日は、拙著『定年後、ゼロから始めて僧侶になる方法』について、日刊ゲンダイの取材を受けた。
手術からちょうど2週間が経ったが、鼻洗と綿の詰め替えを朝夕に行っており、息苦しいやら、しゃべりにくいやら。
それでも丁重に取材していただき、ありがたいことである。
先日の診察のおり、サウナについて女医さんに聞いたら、まだまだ厳禁とのこと。
ガッカリしつつ、風呂とサウナが生活のリズムになっていたことに、いまさらながら気づいたところである。
そう言えば、入院の8日間、坊主の教師教修で籠もった別院の10日間、朝風呂に入れないことがこんなにつらいことか、身をもって知らされたことを思い出した。
習慣とは、げに恐ろしいものである。
昨日、回転寿司に行った。
ざっと数えて、二十数年ぶりである。
馴染みの寿司屋もあり、「回転」は気が進まなかったが、新しい店ができたと愚妻がしつこく誘うので出かけた次第。
席のタッチパネルには驚いた。
しかも、注文した鮨が近づいてくると、
「間もなくです」
とか何とか音声ガイドが流れる。
「間もなく」
という予告があるということは、
「到着しました」
と再度、案内があるはずと勝手に思っていたら、そのまま目の前を皿が通り過ぎてしまった。
回転は気が抜けなくて、私の性分には合わないことがよくわかった。
やっぱり板前さんが私の顔色をうかがいながら、
「握りますか?」
と気遣ってくれるのがいい。
寿司屋は、カウンターを挟んだコミュニケーションが楽しいのだ。
そのことに改めて気づき、
「もう回転はやめだ」
と愚妻に告げると、
「何をやっても文句を言うのね」
と、すこぶる機嫌が悪かった。
愚かな女にはわかるまいが、ただ食べればいいというものではない。
「回転」に出かけるかどうかは、実は人生観の問題でもあるのだ。
回転寿司に出かけてみた
投稿日: