なぜ、車に「お」をつけて「お車」と呼ぶのか。
先程、朝風呂につかっていて、そんな疑問が唐突によぎった。
京都のデパートで愚妻にステッキを買ったとき、デパート嬢が駐車券のことを気づかって、
「お車ですか?」
と訊いたことが、ずっと引っかかっていたのだろう。
「車なら歩かないですむからステッキは不要でしょう」
と、このときは余計なことを言って愚妻にニラまれたが、「お車」とは言っても、「お自転車」とは言わないのはなぜだろうという思いがよぎった。
そのことを湯船で唐突に思い出したのである。
「お車」に限らず、「お箸」とは言っても「おフォーク」とは言わない。
「お醤油」「お砂糖」「お塩」とは言っても、「おマヨネーズ」とは言わない。
「おネギ」とは言っても「おゴーヤ」とは言わない。
「お洋服」とは言っても「おパンツ」とは言わない。
なぜなのだ。
モノによって「お」をつけたりつけなかったりでは、差別であり、整合性がないではないか。
風呂に愚妻を呼びつけ、私の疑問を述べ、
「どう思うか」
と意見を求めると、
「バカなこと言ってないで、さっさとあがりなさいよ」
問題意識が希薄な愚妻をうらやましく思い、私はどうしてくだらないことばかり考えるのだろうかと、反省しつつ、今日が始まったのである。
「お洋服」と「おパンツ」
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