寒くなり、紅葉が一気に進んでいる。
今年は「もみじロード」を走ろう。
房総・富津から山間を抜ける道で、紅葉が美しく、鴨川に仕事部屋を借りていたとき何度か走った。
3年前だったか、「もみじロード」から館山に抜け、うまい刺身を食って帰る計画を立てた。
ところが、どこで間違えたか、「もみじロード」でなく、妙な山道を走った。
「ちょっと、どこに紅葉があるのよ」
愚妻が私を咎めたが、間違えたとも言えず、
「カーナビの具合が悪いようだ」
誤魔化したが、実を言うとカーナビに逆らい、頭に描いた地図でショートカットを試みたのだ。
そんなことを言おうものなら批難囂々である。
テキトーに誤魔化したものの、なぜか館山でなく鴨川に下りてしまい、
「カーナビがあるのに、どうして道を迷うのかしらねぇ」
嫌味を言ったものだ。
それでこの3年間、紅葉の話題が出るたびに愚妻はこのときの失敗を引き合いに出して私をなじるので、「もみじロード」は鬼門だったのだ。
だが、「3日、3月(みつき)、3年」という言葉がある。
物事の節目を言う。
今年は雪辱を期し、「もみじロード」を走って館山で刺身を食おう。
愚妻に提案すると、ジロリと睨んで、
「銚子の刺身はどうしたのよ? ゴッホ展に行くとか言ってなかった? 映画は?」
イヤなことを言うのだ。