法務が続くと何かと慌ただしく、ブログの更新が滞ってしまう。
前回のブログが八月二日。
三日、四日、六日と三件の法務が続き、気がついたら本日は五日ぶりの更新である。
ブログにテーマがあるわけではなく、
(さて、何を書こうかな)
とキーボードを叩きつつ、あとは指のおもむくままである。
さて。
コロナ以降、葬儀は小人数の家族葬が多くなった。
それでもたまに会葬者が百名を超える葬儀もある。
だが、導師は祭壇に向かって読経するので、背後の会葬者は目に入らない。
顔を合わせるのは遺影だけで、十人の葬儀も三百人の葬儀も同じなのである。
しかも、会葬者がいくら多くても、焼香をすませた順に「通夜振る舞い」の別室に流れて行くので、読経が終わって法話をするときはご遺族だけ。
結局、導師の私にしてみれば、小人数の家族葬と同じなのである。
ところが、これが講演となると真逆だ。
向かい合ってしゃべらなければならない。
聴衆が少ないと気軽に話せるが、ン百人となればそれなりに気合いを入れなければならなくなる。
講演の指南書によれば、
「聴衆が何人いようと、その中から頷きながら熱心に聞いている人を見つけ、その人に語りかけるように話せ」
とある。
だが、いざそれを実践すると、あくびをしている人とか、スマホをいじっている人とかネガティブな人ばかりが目に入る。
あせるから、冗談もスベる。
気分は落ち込んでいくのだ。
そんなことをつらつら考えると、葬儀は会葬者が何人いようと目に入らないので落ち込むこともない。
まさに「見えぬが仏」ということか。
ここでキーボードを叩く指がハタと止まった。
指のおもむくままにキーボードを叩き、止まったら「尻切れトンボ」で終わる。
ブログは気ままなのだ。