愚妻は、巨大地震など災害特集のテレビ番組を必ず観る。
先日、千島海溝でM9級クラスの地震発生の可能性をやっていた。
南海トラフと千島海溝。
日本列島は挟み打ちである。
我が家は内陸部にあるので津波の危険はない。
山もないので、森林火災の危険もない。
愚妻の懸念は地震である。
それで再三ご紹介したように、ヘルメットなどを常備している。
だが、自宅で被災するとは限らない。
ヘルメットはない。
「その場合、どうするのだ?」
問うと、
「そう言われてもねぇ」
ノンキなものだ。
どこまで本気で地震を心配しているのやら。
「備えあれば、うれいなし」
と言う。
そのとおりだと思う。
だが、巨大地震から山火事、病気、老後、介護、物価高、台湾有事に北朝鮮、不安定な世界情勢と、私たちを取り巻く環境はリスクだらけ。
備えるのは不可能である。
ならばどうするか。
なにもしないのだ。
中国の詩人・蘇東坡は「無一物中無尽蔵」をもって心の安らぎとした。
すなわち、備えの一切を放棄することこそ万全の備えということになる。
このことを良寛は、
「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」
と喝破した。
愚妻のようにヘルメットを用意して、
「これで地震は大丈夫」
とノーテンキに構えているようでは、災難の餌食になってしまうのだ。